「ドライブ・マイ・カー」
辻井竜一
「申し訳ありません。本日は店長がお休みでして。私アルバイトなもので、私の判断ではそういったことはできないのです。大変申し訳ありません。申し訳ありません。」
「おい小僧、お前、俺が誰だかわかって言ってるのか?たいした度胸だな。お前の雇用形態なんて知ったことじゃない。さっさとしろよ。こっちは忙しいんだ。貴様みたいな高校中退のフリーターと違ってな。」
俺はドライブインの中のレストランの店員に向かって銃を突きつけた。
「早くしたほうがいいぜ。俺だって揉め事なんか好きじゃない。ちょっとお前が勇気を出せば話は済むんだ。ばれるわけないんだからやっちまえよ。若いのに何考えていやがるんだ。さあ!わかったら早くしろ!」
俺の名はベック。職業は殺し屋だ。高校を一年で中退してから、今までいろんな職業を渡り歩いてきたが、どれとして俺になじむ仕事はなかった。それに引き換え、今の仕事は最高だ。俺は殺し屋になるために生まれてきたんじゃないのか?思い立ったのは昨日の夜のことだがその思いつきは正しかった。今俺は死ぬほどいい気分だ。死ぬほど。こんな言い回しをよく俺はする。死。やはりそれこそが俺の商売道具だ。いや、商売道具という言い方はちょっとおかしいな。でもまあいいだろう。なんとなくニュアンスが伝わればいい。高校中退じゃあうまい言い方が思いつかなくても無理はない。
「お客様、どうか勘弁してください。店長に怒られますので。」
銃を突きつけられているというのにこの若造もなかなかたいしたやつだ。尊敬に値する。少なくとも俺なんかよりよっぽど立派な人間だ。よく見ればなかなかいい顔をしている。きっとこいつは将来大物になるだろう。はっきり言ってこんなやつが俺は好きだ。自分に与えられた仕事はきちんとこなす。なかなかできることじゃない。しかも殺し屋に銃を突きつけられているというのに。俺にはできない。俺にできないことをやるやつはみんな尊敬に値する。
「そうか、仕方がない。どうやら間違っていたのは俺のほうかもしれないな。負けたぜ、お前には。わかった。注文は取り消してくれていい。最後に一言だけ言わせてくれ。いいか、愛し続けていなければ、いつでも、一瞬で花は散ってしまうんだぜ。それが美しければ美しいほど、散ってしまうまでの時間は短いぜ。お前には俺と同じ失敗をして欲しくないんだ。それじゃあ、せいぜいうまくやれよ!先は長いぜ!」
そういって俺はそのレストランを出た。なんだかやけにいい気分だ。やはり殺し屋になってよかった。これを普通のサラリーマンがやったところで何も特別なことじゃない。殺し屋の俺がやるから意味がある。将来有望な若者に励ましの言葉をかける。殺し屋なのに。世の中に一人くらい、俺みたいな殺し屋がいたっていいじゃないか。
それにしても俺もなかなか殺し屋として板についてきたものだ。たかがメニューにないものを注文して、それは出せないといわれただけで人を殺そうとするなんて。だけど俺は何も間違っちゃいない。カレーライス、コロッケカレー、カツカレーとカレーには3種類のメニューがあるのに、スパゲッティはミートソースしかなかった。だから俺はコロッケスパゲッティというのはできないのかといったのだ。できるはずだ。簡単にできるはずだ。ただ、スパゲッティの上にコロッケカレー用のコロッケを乗せればいいだけだ。そんなもの俺にだって作れる。まあ、たしかにそんな食べ物は今まで見たことはないが。言ってみれば俺のオリジナルだ。俺は誰の真似もしない。オリジナルな殺し屋だ。今までの殺し屋のイメージを一新する、かつてない殺し屋だ。とにかく俺は間違ってはいない。俺は車に戻り、愛車のセドリックを次のドライブインに向って走らせた。
音楽を聴きながら次のドライブインを目指すことにした俺はカー・ステレオにCDをセットした。ビートルズの「ラバーソウル」。俺はビートルズなんか大嫌いだが、このアルバムはリチャード・ブローティガンの小説のラストに出てくるのを読んでから聴くようになった。小説の中に出てくる音楽が俺は好きだ。聴こえないから、聴かなくてもすむから好きだ。1曲目は「ドライブ・マイ・カー」。本来モノラル録音のものがオリジナルだというのに、俺の持っているこのCDはステレオにされてしまっている。ドラムの音とギターの音がちょうど分かれて左右から聞こえてきてとても不自然だ。ふざけたことをしやがって。やはり古い録音のCDはモノラルで聴きたいものだ。オリジナルの音にこだわるなら当然アナログ盤を聴くのが一番だが、あいにく俺のセドリックにはレコード・プレーヤーはついていない。それにビートルズのアナログ盤はあまりにも種類が多すぎて(UKオリジナル、アメリカ盤、日本盤、リマスター、再プレスなど、本当にとてつもない数だ)、どれを買っていいのかわからない。もちろんUKオリジナルがいいに決まっているが、値が張る。中古レコード屋での相場は平均1万円を超えている。今の俺にはとても手が出ない。まあいい、ビートルズは嫌いだから別にどうでもいい。むしろこの方がいい。俺がビートルズ好きになったりする可能性がなくなるから。「ああ、あのビートルズ好きのやつか。」なんて仲間内で言われるようになるくらいなら死を選ぶ。さすが殺し屋だ。俺の名はベック。職業は殺し屋だ。
俺がドライブインの出口まで車を走らせた時、サイレンを鳴らしたパトカーが駐車場に入ってきた。サイレンを鳴らしたパトカーを見て動揺した俺は急ブレーキをかけた。バックミラーから、パトカーが見える。ちょうど俺の車がさっきまであった場所に止まっている。中にいる警官が何かマイクで話しているようだ。俺はカー・ステレオのボリュームを最小にした。
なんてことだ。せっかくいい気分でドライブするつもりでいたというのに、どうやら五百メートルほど先のほうで接触事故が発生したらしい。かなりの大事故らしく、まだ消火活動中で危険なのでこのドライブインで待機するようにとのことだ。
これで次のドライブインに着くのはいつのことになるやらわからなくなった。高速道路での一番の楽しみはドライブインだというのに。まあ仕方がない。時間はかかるかもしれないが、きっとそのうち俺はまた車を走らせることができるようになる。何も一生ここで待機していなければいけないわけじゃない。むしろ俺なんかよりも、事故にあった人たちのほうがよっぽど辛いはずだ。炎上してしまうほどの事故では、車に乗っていた人たちもきっと無事ではないだろう。もしかしたら愛する人に一刻でも早く会いに行きたいがために、スピードを出しすぎてしまったのかもしれない。運転中に鳴った携帯電話に出ようとして前方不注意になり、ハンドル操作を誤ったのかもしれない。愛する人からの電話だと思ったのだ。愛する人を待たせたくなかったのだろう。誰だって電話をかけてから相手が出るまでのコール音を耳元で聞いている時間は、アンカーを降ろすのも忘れるくらい疲れきり、やむをえずとった仮眠の後、計器の故障で今自分の船がどこの海に浮かんでいるのかわからなくなった船乗りと同じくらい、もしくはそれ以上に孤独で絶望的な気分になるものだ。そんな気分を、愛する人には味わわせたくなかったのだ。「運転中の携帯電話の使用はやめましょう」という標語(たぶんそんなのがあるだろう)を作った人にわざわいあれ。愛する人を待たせるくらいなら俺は死んだほうがましだ。きっと事故にあった人もそうだったのだろう。愛こそがすべてだと知っていた人だ。その人の愛する人はまだ事故のことを知らないに決まっている。悲しいことだ。それ以外何も言えない。まったく悲しいことだ。
ドライブインの出口でハンドルに突っ伏しながら俺は自分の思考にほんの少しの疑問を抱いたが、またすぐに自分を納得させ、疑問を追い払うことに成功した。俺はこう思ったのだ。殺し屋である俺が顔も知らない他人の死(それも死んだかどうかも定かではないというのに)にこんなにも感傷的になっていいものだろうか。殺し屋というものはもっと冷酷な感情を持ち合わせていなければならないのではないか。バラクーダ師匠ことロビン・マスクに出会う前のウォーズ・マンのような、氷の精神でいるべきではないかと。いや、いいんだ。他の殺し屋はどうだか知らないが、俺はいいんだ。そうだ、俺はオリジナルな殺し屋だ。こんなにも感傷的な殺し屋がいたって何も問題はない。少なくとも俺にとっては。なぜならそれは俺のことだからだ。オリジナル、ワン・アンド・オンリーでいるというのはなかなかヘビーなことであると思うかもしれないが、実際はそんなことはない。むしろ大変楽なものだ。何がOKで、何がそうでないかはすべて自分の判断に任せることができる。ワン・アンド・オンリー。それは「妥協」という言葉を肯定することのできる精神を持った者を表す言葉だ。氷の精神を持った者にあたえられる称号では決してない。今決まった。決めたのは俺だ。
さすがにオリジナルな殺し屋である俺でも、消火活動中の事故現場に向かって車を走らせるようなことはしない。それは危険だ。俺の身に何かあったら俺が困る。というか、はっきりいって、怖い。それが一番大きな理由だ。オリジナルな殺し屋たるもの、人と同じ行動はできることなら避けたいものだが今回だけは自分を許してやろうと思い、俺は他のやつらと同じように車を駐車場まで戻した。怖いのだからしかたがない。
エンジンを切ろうとした時、まだカーステレオの電源が入っていることに気づいた。さっきパトカーが来た時にボリュームを最小にしてそのままにしてあったのだ。なんとなく俺はボリュームを上げてみた。
「ラバーソウル」は七曲目まで進んでいた。「ミッシェル」のイントロが始まったところだった。この曲は前半のメロディーをジョンが書き、後半はポールが書いたというまさに二人の共作だ。俺はこの一曲を聴き終わってからエンジンを切ろうと思った。
俺は今自分の愛車セドリックの中。ビートルズの「ラバーソウル」を聴いている。七曲目の「ミッシェル」を。ジョンのギターとジョージのギターが絡み合ってさびしげなメロディーを奏でている。とその時、俺の愛車の窓を叩く音が聴こえた。聴こえた。たしかに。窓を叩く音が。ジョンのギターとジョージのギターの音といっしょになって。
音のしたほうを見ると、さっきのパトカーの警官の顔が見えた。俺は窓を開け、拳銃をそいつに向かって突きつけると、すぐさま、有無を言わせずに引き金を引いた。乾いた銃声とともに警官は後ろ向きに倒れた。警官が倒れる音は聞こえなかった。その音よりはビートルズの演奏の音のほうが大きかったわけだ。警官の倒れる姿はあまり「ミッシェル」のメロディーにあっているとは思えなかった。
軽く舌打ちをしてから俺はカーステレオの停止ボタンを押した。またやり直しだ。せっかくもうすぐ「アイ・ラブ・ユー」と繰り返しジョンが歌うパートまできていたのに。ポールだったかもしれないがそれはどうでもいい。誰が歌っているかなんてどうでもいい。考えてみれば俺は「ラバーソウル」をかけたときからずっとその部分を待っていたのだ。「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー」の部分を。それを邪魔してしまったのだから、この警官は銃で撃たれても仕方がないだろう。あえて詳しい説明はしないが、こいつはとてつもない罪を犯したのだ。殺されてしかるべきだ。
こいつを殺したところで(額の真ん中を打ち抜いたのだ。死んだことは確実だろう)俺の怒りはもちろん収まらなかったが、いまさらどうしようもないことだ。怒りをぶつけるべき相手は一人しかなく、その一人はもう死んでしまった。この世にはいない。どこにもいない。俺の怒りをぶつけるべき相手は、もうどこにもいなくなってしまった。
「ジョン、ジョージ、ポール、リンゴ。」とつぶやいてから俺は静かにアクセルを踏んだ。そして愛車のセドリックをドライブインの出口に向かって移動させた。
やがて俺はアクセルを思い切り踏み込み、炎上しているはずの事故現場を目指すことにした。右手でハンドルを押さえながら、左手でカーステレオの再生ボタンを押した。セットしてあるCDはさっきと同じ。ビートルズの「ラバーソウル」。一曲目は「ドライブ・マイ・カー」。俺の名はベック。職業は殺し屋だ。
(了)
しまった。書くものを間違えた。
「短歌サミット2009」
●日時:2009年6月20日(土)
●開館時間:PM1:00〜PM5:00
●場所:「川口市立アートギャラリー・アトリア」
公式HP:http://www.kokoiru.com/tanka/
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